【書評】日本人には英語は必要ない?
書名: 英語はいらない!?
著者: 鈴木孝夫
購入の経緯:
BOOK OFFで英語関連の本を探している際に見つけた本
なかなか思い切ったタイトルだったので、購入した。
内容:
本書冒頭の内容紹介より引用
「言語」は、ときに国をも破壊する恐ろしい力を持つ。「英語公用語論」まで叫ばれているが、経済大国となった日本に、外国語を公用語とする必要はない。
また、一生かかっても英語の完全習得は不可能。
(中略)
今後求められるのは、英米語ではない「新しい英語(Englic)」の使用と日本語の国際普及であると筆者は主張。
昨今の英語礼賛に警鐘を鳴らし、真の国際交流を可能とする方法を提案する。
【考察】
著者は言語社会学者であり、巷の英語礼賛論に対して、言語学的な見地から一石投じるつもりで書いた本だと推察する。
【内容】
一見するとお堅いテーマの本に見えるかもしれないが、昨今盛り上がりを見せる「日本の小学校からの英語教育推進ブーム」や「日本人がネイティブに対して英語を話す際、どのような心がけで英語を話すか」といった理解しやすい論題に対して、学者の見地から持論を展開する本になっている。
私の考えだが、「英語の完全習得は不可能」ということに関しては、同意する。
(語学というのは、奥が深いです。どの分野でもそうなんだろうけど)
勉強になった部分は、「日本人が英語を話す際に、英語ネイティブたちどう向き合うか?
という論題に対しての著者のアドバイス」である。
P.32 より引用
今や国際語の性格をもつようになった英語を、私たち日本人が学ぶとき、その英語をこれまでのように英米人の立場から見るのではなく、それを学ばざるを得ない日本人の立場から、改めて見直してみる必要がある(---以下略---)
P.58 より引用
私の知る限りでは、庶民が日常的に外国ができるような国は、その国が国際的な弱者の立場にある証拠です。
(中略)
一般に外国では貴族は外国語ができません。金持ちも外国語はできません。
それは外国語ができる人間を通訳なり、召使なり、何なりに雇えばいいからです。
外国語を学ぶことのバックグラウンドを著者なりに推察した部分であるが、この部分は間違っていないと思う。
私がタイで沈没していた頃に語学学校に通っていたタイ人たちは、英語、日本語を勉強していた。理由を尋ねると「日本語、英語ができないと良い給料がもらえない」ということだった。
国の経済力の優劣によって、劣っている国の人たちが外国語を学ばざるを得ない状況になることは概ね正しいと思う。
P.73 本気で国際化したいならマゾ型からサド型へ より引用
どうも日本人は、自分を逆境に追い込んで、そのなかで「えいっ、今にみてろ」という悲壮な努力を楽しみすぎる。
P.102 より引用 (Englic)について
イングリックとは、ひとまず英語を言語素材として、日本人が言いたい事、自分のことを言うための手段であって、これは英語を元々使う人々と、それを学習して使う人々との中間に位置する、妥協の産物と考えてください。
P.104より引用
本当は私が日本語を話すことが私としては一番楽ですが、それではあなたがわからなくて気の毒だから、英語らしき言語を使ってあげているのですよ。
(中略)
だからあなた方もこれは自分の英語そのものではないということを忘れずに、努力して一生懸命聞きなさい。分からないときは聞き直しなさい。と言えば、
英語という相手の言語を使わされる時に避けることのできない力関係の不公平、多くの日本人が感じる心理的な負担がだいぶ軽くなるわけです。
P.109 イディオムは使わない より引用
ですから私たち英語を使わざるを得ない立場の人間は、こちらが損にならないようにできる限りネイティブの基準、土俵に入らない注意がいる。
P.115 より引用
重要なことは、ネイティブ・スピーカーはいろいろなところで外国語使用者に譲るべきだということを、何よりも私が英語を使わされる立場にある者が、そのことをはっきり意識し、機会あるごとにそれを主張しなければ駄目です。
P.141 より引用
頭のフットワークを軽快にして、マゾ的な苦労を背負い込まないで、自分の方が楽に得をするように、苦労はむしろ外国に背負わせるような生き方ものの見方を、日本人はもっと真面目に考えるべきです。
日本人が「英語」を話す際に、気をつけるべきこと・心構えを論じている部分。
この内容は、日本人として英語を話す必要がある人は是非頭に入れておいた方が良いと思う。
日本人が英語という外国語でネイティブと対話をする際に、力関係は間違いなく
【ネイティブ>日本人】という構図になる。
大多数の日本人が英語を話すことに負い目を感じているだろう(もちろん私も)。
「発音は大丈夫か?この言い回しで失礼ではないか?通じるのか?」といった表面的な部分に自分の注意を向けすぎては、本当に大切な話の「内容」部分がおろそかになってしまう。
そういう心構えを外すために、こういったアドバイスは非常に有益ではないだろうか?
P.124より引用
英語を話すことは特に必要のある人、それをやらなければメシが食えない人以外は必要ないのです。そして、どうしても学んで使わなければいけない人にとっては、それは必要悪なのです。決して他人から見て、羨ましいこと、憧れるべきことではない。だからできるだけ日本人が損しないような学習方法、自分に少しでも得になるような対応法を考えることにまず頭を働かせることです。
P.194より引用
今でも英語は英米人のような、ちゃんとした発音でないと話を聞いてもらえない、などという人がいますが、とんでもない。たとえ英米人が相手の場合でも、発音などかなりいい加減でも大丈夫です。ただし条件があります。
(中略)
つまりあなたに「この人の話を聞かなかったら自分の損になる」と相手に思わせるだけの条件すなわち強みがあるときは、あなたが話す英語がかなりひどくても、向こうが分かろうとする努力で補える。
(中略)
だから何よりもまず自分が他の人に与えれる何かしらをもつよう、自分の日本人としての強みを磨くことの方が大切です。
英語が必要になる人、英語を話す際にまず自分の強みを磨くことの必要性を説いた内容。
私は英語を学習する必要がある人の定義に関しては、筆者の主張に同意する。
私自身TOEIC900越えまでは英語を学習してきたが、学習期間で言えば約3年程度掛かっている。この3年間を別の分野の勉強に使うこともできたわけだし、「ちょっと英語を勉強するかな」という心構えで、貴重な「時間と金」を浪費してしまうことはお勧めしない。
そして、「英語を話す前にまず自分の強みを磨け」というアドバイスは、「はっ!」とさせられた。
ただし、条件があります。
つまりあなたに「この人の話を聞かなかったら自分の損になる」と相手に思わせるだけの条件すなわち強みがあるときは、あなたが話す英語がかなりひどくても、向こうが分かろうとする努力で補える。
散々言われていることだが、「英語はツールであり、自分の専門性があって始めてプラスαになる」ということである。
英語を勉強している読者の方は、「自分の強み」をどう伸ばしていくのかという部分も忘れずに学習を続けてほしいと思う。
P. 207 あとがきより引用
いま言語、文化、宗教といった多くの点でアメリカ人と異なる性質をもつ日本人が、日本語を捨ててコンピュータのために英語にのめり込むことは、自分たちの強み、利点を捨てて自ら進んで二流、三流のアメリカ人になろうとする、労多くて無意味な選択になることは目に見えています。
しかしこのことは特別に専門的な知識もない私の直感的な考えにすぎませんから、本書に書くことはためらいを感じたわけです。
【まとめ】
全体的にややネガティブな書評になってしまったが、
世間巷の「TOEIC ○○○点がある人は良い!」とか、「これからは英語ができなければだめだ!」といった情報ノイズに惑わされない、判断基準が養われる良書だと思う。
自分に本当に「英語」が必要か?という部分に疑問を感じている人は読んでみてはいかだろうか?
私のまとめ
- 英語を話す際に、日本人特有の劣等感、不安感は抱かないこと
- 「英語」は大事だが、それ以上に「自分の強み」を磨くこと
(おしまい)